大沢きゅう舎の佐藤久雄きゅう務員は、この道40年の大ベテラン。関屋競馬の時代から新潟の競馬を支えてきたひとりだ。競馬に対する情熱は2人の息子にも受け継がれ、長男は県競馬の記者、次男は中央競馬のきゅう務員(鈴木清きゅう舎)として活躍している。
悲喜こもごもの競馬人生の中で、佐藤きゅう務員は2頭のグランプリホースを育て上げた。1頭はグランプリ史上最重量のハンディ、60キロで優勝したハクバサブロー。そして、県競馬で無敗のグランプリ馬となったグリーンフランシスだ。同馬は5歳の春、中央(6戦0勝)から新潟へ転入。以来、破竹の勢いで勝ちまくり11連勝を達成。10連勝目には最高峰の新潟グランプリ(88年)を制した。翌年、金沢に転戦してからは11戦3勝。新潟での1年間で、すでにピークは過ぎ去っていた。
−初めて見た時の印象は?
「当時、脚光を浴びていたブレイヴェストローマンの産駒でしたからね。まずは血統にほれ込みました。それと、馬体もしっかりしていた。首が太くて、背中の亀甲部分が発達していたし、四肢のバランスもよかったですね。それでも、初めはこんなにトントン拍子で勝てるとは思っていませんでした」。
−勝つにしても大差勝ちがなく、常に接戦でした。気苦労も多かったのでは?
「先行馬でしたが、並んだら抜かせないという勝負根性がありました。と言っても、気性は素直で賢かったので、普段から手がかからない馬でしたね。ただ、3連勝、4連勝と勝ち進むうちに、負けたくないというよりも、負けられないという気持ちが次第に強くなっていって…。いつも手綱を取っていたノブ(大沢信夫騎手)なんかは、すごいプレッシャーだったと思うよ。まだデビューして3年目の新人でしたから。ノブはもちろん、馬にもよけいなプレッシャーをかけないために、レース前には馬主さんでさえ馬屋に近づかないようにお願いしました。多少の脚部不安もあったので、勝ち続けているうちは胃がキリキリ痛む思いもしましたが、グランプリを勝った時にはすべてが報われた気がしました」。
−やはり思い出のレースといえば…
「B1から挑戦した新潟グランプリですね。初めてのオープン馬相手でしたが、50キロの軽ハンディだったので、内心では『ひょっとしたらな』と思っていたんです。できることなら、ノブにも重賞を取らせてあげたかったし。きゅう舎を上げて応援しましたよ。ゴールした瞬間は、言葉では表せないほどうれしかった。自分の気持ちが馬に通じてくれたんだと、素直な気持ちで喜べました。ちょうど節目の10勝目だったし、この勝利だけは格別の思いでした」
−今後の抱負は?
「もう一度、グリーンフランシスのような馬に巡り会って、ひと花咲かせたいな。私もこの年になったし、なるべくなら気性のおとなしい、手のかからない馬がいいんだけどね」。
|