競走馬と寝食をともにして40年。加藤きゅう舎の佐藤正雄きゅう務員は、県競馬きってのベテランきゅう務員だ。これまで手掛けた馬はおそらく100頭を下らない。その一頭一頭に、我が子を育てるような深い愛情をそそいできた。手がかかる子ほどかわいいというが、佐藤きゅう務員にとってセントエリアスはまさにそれだった。
荒々しい野武士。セントエリアスにはそんなイメージがあった。4歳時に中央未出走のまま新潟へ転入。以来、10歳まで走り続けて通算50戦21勝。新潟グランプリ連覇(1984、85年)など、地元の重賞を総なめにした。県競馬所属の馬としてはじめて中央(福島)の地方競馬招待(3着)や、大井の帝王賞(11着)にも出走。その豪快な差し脚はファンの心を熱くした。
−かなり気性が激しかったと聞きましたが、最初の印象はどうでした?
「うーん、冬毛がぼうぼうで熊みたいでしたよ。おまけに気性の激しさは半端じゃない。中央では馬房内で暴れ、蹄鉄も満足に打ち込めなかったそうですが、自分で扱ってみてよくわかりました。なかなか体を触れさせてくれなくてね。不用意に近づくと、後ろ脚で蹴飛ばすんだから参りました」。
−けいこの時も苦労されたと思いますが。
「いったん機嫌を損ねると、押しても引いても動こうとしないし、乗り運動を中心にしました。乗り心地はよかったですね。ゆったりとしていて…。それに、正治君(渡辺騎手)が追い切りをかけるときでも、走るフォームがすごくきれいなんです。跳びが大きい馬ですが、上下動がほとんどなくて水平に走るんですよ。だから小回りの三条でも活躍できたのだと思います。ただ、一番の悩みはほかにありました」。
−と、言いますと。
「ゲート入りがとにかく悪いんです。デビュー2戦目を枠入り不良のため除外。30日間の出走停止処分となりました。この時は悔しかったですね。勝てるレースなのに走らせてもらえなかったわけですから。4歳後半になって落ち着きが出てくるまで、いつも頭にあるのはゲート入りのことだけでした」。
−4、5歳時は20戦17勝、2着2回。グランプリ連覇などもあり、ケタ違いの活躍ぶりでしたね。
「5歳時に福島で中央馬と戦った時は、初めての芝で、しかも、スタートであおってしまい3着。まともだったら2着はあったレースでした。その年は新潟グランプリをもう一度勝ったし、思えば一番充実していた頃でした。でも、6歳になって大井の帝王賞に出走したんですが、レース後にハ行してしまって。それ以来、レースを使うたびに前脚をかばうようなしぐさを見せるんです。好調時の迫力も次第になくなっていきました」。
−現役を引退後は?
「種牡馬の話もあったようですが、今は新潟大学の乗馬クラブでお世話になっているそうです。相変わらずきかん坊で、手を焼かせているそうですよ」。
|