キングトツプラン
 アラブ、1972年生まれ、牡、高橋鉄雄きゅう舎。父マスタング、母トツプライン。92戦42勝。主な勝ちクラ…東北アラブチャンピオン(1976年、77年)、アラブチャンピオン競走・笠松(1977年)。3歳(旧)から8歳(旧)の秋まで92戦して42勝をマーク。当時、この42勝はタガミホマレ(種牡馬)の持っていた公営最多勝利(41勝)を破る大記録だった。その輝かしい戦歴の中には、東北アラブチャンピオンを連覇(76年はレコード勝ち)、笠松のアラブチャンピオンをレコードで走破するなど、内外にキングトップランの名を高めた。また、同馬の功績を賛え、「キングトップラン記念」競走が設立された。

ダイイチカルペール
 1966年生まれ、牡、脚質・自在、赤間松次きゅう舎。父チャイナロック、母カルペール。43戦26勝。主な勝ちクラ…新潟グランプリ(1971年、72年)。中央未勝利で4歳(旧)のときに移籍してきた。首から、き甲の使い方がもの凄く良かった馬で、全身ゴム毬のようなフットワークだったらしい。「すでに故障していたんだけど、攻馬だけ少し乗ったことがあります。今までにあんな体の柔らかい馬に乗ったことはないですね。あの馬の全盛期の頃に一度だけでいいから乗ってみたかった」と2900勝ジョッキーの渡辺正治が後に語っている。1978年以降は勝ち星はなかったが、それまではグランプリ連覇を含む26勝、2着3回、3着2回、着外1回と抜群の成績を残した。オールドファンの支持率NO・1。

フアストリユウエン
 1970年生まれ、牡、脚質・先行、鈴木忠俊きゅう舎。父パーソロン、母スイフトクイン。15戦14勝。主な勝ちクラ…新潟グランプリ(1974年)。中央未勝利で4歳(旧)時に当地へ転きゅう。490キロ台の大型馬で、スピード馬。唯一の敗戦は10戦目の「五十嵐川特別」の2着だけで、ほぼパーフェクトな成績を残す。B1級からグランプリに挑戦してVの偉業を達成。そのグランプリでは突然の騎手変更ながら、他馬を大きく引き離して楽に逃げ切った。