(実は赤ではなく青い新聞・うま〜い話の)S.K氏
◆記憶に残る馬ベスト3 |
★グレートローマン |
入社するまで競馬のケの字も知らなかったボクが、きゅう舎回りで初めて接した馬。涼やかな目が印象的だった。 |
★セントエリアス |
グレートローマンとは対照的に、筋骨隆々の荒武者という感じだった。気性が激しすぎて、中央(未出走)では馬房で暴れ、蹄鉄も満足に打ち込めない状態だったという。 4、5歳時(旧)に、新潟グランプリで2連覇。県競馬所属馬として初めて中央(地方競馬招待=後のオールカマー)に挑戦し、スタートで出遅れながらも根性で3着に入った(テレビ観戦したが、スタートがまともなら2着はあった)。県競馬を初めて全国に知らしめた馬。 |
★スピードペガサス |
セントエリアスと同じ世代だが、典型的な大器晩成型。6〜9歳(旧)にかけて新潟記念4連覇、しかも9、10歳時(旧)には新潟競馬場で1600mと1800mのレコードを記録した。本命になると新聞には「天馬」の見出しが躍った。まさに、おやじに夢と希望を与えた馬。 |
◆思い出のベストレース |
〇入社1年目(1984年)の新潟グランプリ |
セントエリアス優勝、チェリーノーザン2着。 ボクが見た中で、これほどメンバーがそろったグランプリはなかったような気がする。 常に王道を歩みつづけたアジャストメント、最後は骨折で幕を閉じた悲運の快速馬リュウフレッシュ、4歳馬(旧)で初めてグランプリを制したイチコウハヤタケなど、個性のかたまりだった。そんな中で、同型がそろい劣勢のチェリーノーザンを2着に粘らせた向山牧の天才ぶり、セントエリアスのレースセンスを引き出した渡辺正治の騎乗テクニックは、強く印象に残った。 |
〇1988年の新潟皐月賞 |
ツカサアコード優勝、マイティダイヤ2着 ボクが初めて万馬券を取ったレース。枠連は4−5で16,390円。 マイティダイヤは、このレースをきっかけに躍進。その年の秋には北日本オークスのタイトルまで取ってしまった。弱小(すいません)瀬高きゅう舎の大功労馬。ツカサアコードは後にダービーグランプリで2着。 |
番外・1985年のジャパンカップ |
シンボリルドルフ優勝、地方のロッキータイガーが2着。 |